norika_blue

1999年生まれ

Quotes, musings (12)

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(家の部屋の一角にあたった西陽)

 

さようなら、オレンジ / 岩城けい

 


・そんなわけで、サリマの英語はそれほど上達しなかったが、学校に通うのは楽しかった。教室に入るとき、自分の影がにわかに息づいて親友のようにサリマに寄り添い、行ったことのないところへふたりで散歩しているようだった。

 

 


・言葉とは、異郷に住む限り、その主要な役目は自分を護る手段であり武器です。武器なしに戦えません。けれど、それよりも先に表現することをやめられないのは、なにかを伝え、つながりたいという人間の本能でしょうか。

 

 


・「いまはあんたが、働きに出てるんだね。それで、だれがあんたを見送ってくれるんだい」

朝の三時前に徒歩で出かけるサリマを見送ってくれる人はなかった。息子たちは同じ市営住宅に住む友達に連れられて学校に行く。帰りはサリマがその友達の子供と自分の息子たちを迎えに行くことになっているのだ。

「お月さま、霧」

「そうかい、ひとりじゃないんだね。よかった」

 

 


・試験のためとはいえ、あれほど貪欲に外国語と格闘したことはそれまでありませんでした。そして、いかに自分が母語に甘え、堕落しきってきたことか思い知らされました。あれ以来、母語で読み書きするの、とても粗野な気持ちになるんです。私は自分の言葉を知っているつもりでいただけで、その真意を知ろうとせず傲慢だった。誠実じゃなかった。そして、外国語を学んでみて初めて、気づかされたことのなんと多いことか。話すこと聞くこと、つまり音声は社会生活の実地に学び、特に精神的肉体に歓び、もしくは痛みをともなうときに強い感情と結びつき、耳や舌に永遠に刻印されます。しかし読むことと書くこと、つまり思考の支えになる言語を養うことは個人的でしかも、彼もしくは彼女の頭の中でさまざまに形を変え繁殖します。それは、胸の底の奥深くに言葉の種を撒くことに似ています。若いときは易しいことだというのに、歳を重ねると硬くなった土を掘り起こすことは、困難なことになり得ます。若くもなくたくさん年を重ねているわけでもない今、読むという視覚的な入力だけでなく、拙いながらも書くという出力の行為にすがり、心という土壌に言葉の森を育てることをいつの日か実現させてみたいです。

 

 

・もう少しディテールにこだわるようにということでした。ディテール。これがすべてだといっても過言ではないと先生はいつもおっしゃいます。「強すぎる、副詞が足りない、形容詞を副詞で修正しなさい」

 

 

 

・彼女の英語は力任せです。その迫力ときったら、こちらが圧倒されるくらいで、その強引さから彼女がこの国で暮らしてきた三十年を想像せずにはいられません。最近ではパオラの発音や言い回しの癖までこちらも覚えてしまい、他の人には不自然に響いても、慣れっこになっている私にはちゃんと理解できるし、気になりません。夫に言わせると、この現象は「言語の化石化」と呼ばれるのだそうです。化石化、です。学者って酷いと思いませんか。そんなふうに分類されて心を石のように固くする人があることも知りもしないで得意になってるんです。

 

 


・二十六のときなにも見ない聞かない記憶しない、自らそう強いたのに、見るものは見て聞けるものは聞き、記憶できることはすべて記憶してきたじゃないか!

 

 


・ナキチはロスリンが笑うたびに、罠にかかった小動物みたいにおっかなびっくりしていました。可哀想なナキチ。自分のことを笑われていると思っているのかしら、そうじゃないのに。自分では気づいていないけれど、彼女は無心になにかを求める人です。たとえ、そのなにかが手に入らなくても、求める途中で得たものが大切なものとして手元に残るのではないでしょうか。

 

 


・きみはおよそ美術品と呼ばれるものの何に感ずるかね、と聞かれて、色だと答えました。嘘とごまかしのない色彩そのものに感動します。

 

 


・今日も世界のどこかで、小さく弱い言語のどれかが消滅しています。英語がこれほどまでに権力をもった現状において、この巨大な言葉の怪物のまえに、国力も経済力も持たない言語はひれ伏します。しかしながら、二番目の言葉として習得される言語は必ず母語をひきずります。私たちが自分の母語を最も信頼するのは、その文化や思想をあるがままに表すことができるからです。第一言語への絶対の信頼なしに、二番目の言葉を養うことはできません。そうして積み上げられた第二の言語 (私たちESLの学生にとっては英語)に、新しい表現や価値観が生まれてもよいのでしょうか。どんなにみっともなく映っても、あのような嫌な笑い方の報いを受けるべきではありせん。ナキチのような祖国を奪われた人にとっては、セカンド・ランゲージはセカンド・チャンスなのです。それに賭けようとする彼女のひたむきさを見ていると、純粋な言葉の力の可能性を願わずにはいられません。

 

 


・サリマの周りにはすべて不透明な確かさと、澄み切った不確かさで取り囲まれていた。サリマは怖かった。あんただけは、どんなことがあっても私から離れない。祈るような気持ちでサリマは自分の影を探し見つけ出し、それをしっかりと抱きしめた。

 

 


・人はだれも歳を重ねるごとに、こうやって何か贖いながら生きるのでしょう。そして、そのきこえない声に耳を傾けることができる人間でありたいと思うのは、私自身も歳をとったせいでしょうか。

 

 


・深い悲しみのあとには、生きることへの強い願望と希望がその人の心のなかに必ず訪れることを、私はこの大切な友達とふたりの娘たちから教わりました。

 

 


・さようなら、おひさま。これからも、朝に出会い夕べに別れることを繰り返す。でも、これはゆめなんかじゃない。あれは、あたしを生かしておく火、永遠の願いと祈り、消えることのない希望。