norika_blue

1999年生まれ

永遠の映画 ‘20 ② 【2】

パート【1】(1-5)

https://norikaeden.hatenadiary.com/entry/2021/02/02/225928

の続き

 


⑥ ローマ (2018) / 監督: アルフォンソ・キュアロン

 

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こんなに光線みたいに輝いている力強い映画、そうそうない。

 


だけどこれはただ強く暖かい映画なのではなく、同時に、有色人種と白人の、金持ちと家政婦の、学生運動の時代の、女たちの話だ。家政婦のクレオを描いた、だけどクレオの立場を完全に理解できるという傲慢な憶測に基づいていない、彼女への敬意を込めて描かれた映画だと思う。

 


この映画をみて「女性は"強くなった"のではない。女性はずっと強い。社会の女性に対する見方が変わっただけ」という言葉を思い出した。"we women are always alone"というセリフがこの映画の中であるけれど、海から帰ってくるとき車のハンドルを握る4人の子供たちの母Sofia、そして階段を上がっていく家政婦Cleoにあるのはlonlinessではなくsolitudeだ。

 


とにかく、こういう映画が存在することに感謝したい。映画を通して、記録する、残す、記憶する、ということ。映画はある一面かもしれないけど、その一面の存在は大きい。

 


あと、朝ごはんのドタバタのシーンも好きだった。レディ・バードでもそうだったけど、ドタバタの朝ごはんのシーンって最高に愛おしい。

 


レ・ミゼラブル (2019) / 監督 : ラ・ジリ


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アン・ハサウェイヒュー・ジャックマンが出演しているレ・ミゼラブルとは、時代もストーリーも異なる、2019年のレ・ミゼラブル

 

 

「非暴力の抵抗」。それで成功したキング牧師の例もあるけれど、それは支配する側がそれを美化することによって彼らに抵抗させないための、抑圧の一種でもある。「非暴力は素晴らしいよね(だから暴力をふるうのは悪だから、暴力で対抗して来ないでね。そうすればこっちもあなたを永遠に支配しこき使うことができるから」という、支配側の行動の正当化のためにその言葉が使われることが可能になる。そのことを忘れてはいけない。私はもちろん暴力は断固反対だけどね。ただ、彼らの暴力だけを指差して批判して、その暴力を生み出さないようにすることで権力側が支配しやすくしているようなその社会構造に気づかずに、「彼らの暴力」だけを批判してはいけないということ。自分たちも暴力を振るっているのに。

 


“What if voicing anger was the only way to be heard ?” というSalahの言葉が心に残ってる。

 


“反抗的”であることに、ダサさや幼稚さを見いだしてしまった瞬間にどんどん自分が「抑圧側」「支配側」になっていく。自分が気づかない間にどんどん人に暴力を振るうようになり壁になっていく。「本当に反応しなきゃいけないようなこと?→そんなことない」というマインドに持っていこうとすることは楽だし(というかそのマインドに最終的にもっていけたこと、そして楽になれたことがそもそも幸運なことでもあるんだけど) 、それを繰り返して行くたびにどんどん自分が何に対しても「これは大したことない」と思うようになり、そのうちにひとを制圧していく…絶対に嫌だ…

 

 

 

 

⑧ ぐるりのこと。(2008) / 監督 : 橋口亮輔

 

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みんな、ちゃんとしなくちゃと思って生きててそれで、壊れてしまう。これは命についての映画。亡くなった子供、中絶、殺人、遺産相続、最後に死んでもない父親の死後のことで争いはじめるところで、やっとこの映画のことをちょっぴり分かった気がする。

 


私たちは、人の命をぞんざいに扱っているんじゃないか?命の尊さそのものを忘れているのではないのか?

 

木村多江が演じる翔子と、リリー・フランキー演じるカナオが、お互いにかける信頼の目線、愛の目線。絵を描く、写真を撮るという行為も、そういう目線にもなりえるんじゃないか。(必ずしもそうであるわけじゃないけど)。

 


生を全面から肯定するそのパワーをこのように映画を通して描いた橋口監督、すごい。

 

 

⑨  ポルトガル、夏の終わり (2019) / 監督: アイラ・サックス

 

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大好きなアイラ・サックスと、思い入れの強いポルトガル。評判は悪かったけど、映画館で観れてよかった。

 


息をのむほど美しい瞬間の数々。言葉のないところにこそ、宿る意思。

 


コゴナダ監督の「コロンバス」を思い出したけど、「コロンバス」が緑茶のような静謐さを持っているとしたら、アイラ・サックスのこの映画は花の香りのするジャスミンティー。フレッシュさがあった。

 


2018年のポルトガルを思い出して、よくも悪くも胸が締め付けられた。ポルトガルの美しさと痛み。海、バス、タイル、光…

友を(失ったこと、と書こうと思ったけど、失ったわけではないのよね。それでも、ポルトガルのことを思うとき、その美しさと同じくらい、そこで感じた痛みについて思う。

 

 

私が行ったのはリスボンで、あと滞在中は街と海ばかりに行って山には行ってなかったから、湿って霧がかった山道をイザベルユペールが歩くシーンは、新鮮だった。

 


こうしてレビューを書いていると、もう一度観たくなってきた。

 

 

 

⑩  マティアス&マキシム (2019) / 監督: グザヴィエ・ドラン


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今までみたドランのどの映画より秋の静かで暖かく擦り切れた、滲み出るような痛みと恋が描かれてた。今までは、ドランの映画ではもう溢れ出る(というか爆発する、弾ける)エネルギーの感情を描いていたように思うんだけど、今回はもっとじんわり(丸くなっているのではなく滲み出る感じ)と「憂いがかった優しさ」を含んだ感情が描かれていた。誤解を恐れずに言えば、悲しさに対して半ば「諦めている」ような。(今まではもっと積極的な怒りが全面にあったと思う。今回の映画でも怒りはあるんだけど、例えばマキシムが「アザ野郎」と言ったときのマティアスの表情などは怒りというより「諦め」が強いように思えた。) ドランにしては珍しい色の作品だと思う。

 

 

そうはいいつつもやっぱりドラン。マキシムが母との口論の後、壁(というか写真?)に向かって思いっきりパンチするところ、車での言い合い、パーティでの喧嘩など、表向きもやっぱり感情を静的には描かないところも、もちろんいくつもあった。

 


アンドリュー・ヘイ監督のウィークエンドを思い出さずにはいられなかった。時間のカウントダウンとか。あと、マキシムが「週末を一緒に過ごそう」というところでは、気のせいかもだけど思わず「やっぱり…!」と思わずにはいられなかった。(というか、「ウィークエンド」には絶対影響受けてると思った。あと、call me by your name.(追記:と、思ったらCMBYNに影響を受けた、ってドラン自身が話してるのね)

 


今回も神的ショットはいくつもあるんだけど、(特に窓にビニールのシーン、マティアスとマキシムが序盤でお皿を一緒に拭いているところで、外が真っ暗で小さな窓の切り抜きのところだけ明るくなっているところ、名前を呼ばれて2人が振り返るところ、ビデオカメラの前でのキス、湖畔に向かって同じ向きで座っているところ…)でもちょっと、予告で見せすぎている。神的ショットのうちほとんどみせてるやん、、だから、驚きはなかった。

 


普段予告編は映画を見てからみるんだけど、映画館で映画観るたびにマティアス&マキシムの予告編流れてたから、みたくなくてもみちゃったよ…

 


久しぶりにドランの演技をスクリーンで観れて嬉しかったし、マティアス役の俳優の人も気になる。

 

 

あと、音楽とのマッチだけど、今回の私のベストは、車で友達同士で歌うところのシーン。Britney のWork Bitchの初め画面がチカチカするところと、あとケヴィンが最初エスカレーターから上がってくるところも、好きだった。

 

番外編に続く