norika_blue

1999年生まれ

永遠の映画 ‘22 【1】

※ Picture from Tumblr

 

①秘密の森の、その向こう

/ 監督 ; セリーヌ・シアマ


上映中ありえないほど涙を流し、もはやなぜここまで泣いているのか訳がわからなかった故に、2回連続で観た。 (観終わってすぐ次の回のチケットを取り、1時間ほど間があったのでこの映画のことを考えながら渋谷の街を徘徊していた)

 


なぜセリーヌ・シアマは毎回こんな奇跡のような映画を撮り続けることができるのか。

 

ーー


その時のフィルマークスの文を、そのまま以下に載せたい。かなりとっ散らかってる文章だけど。

この映画を観た人いたら感想をぜひ聞きたいな。

 

10/16/2022


アホなほど泣いた。

日曜の午後、連続で2回観た。マスク2枚予備で持っててよかった。

 


1回目はところどころ言葉を追えなかった。

それなのに (2回目観て思ったけど、それだからこそ)、途中、「未来の音楽」が流れるところ、ラスト、「マリオン」「ネリー」、そして「未来の音楽」の歌詞。

 


私はすぐ泣いてしまうので、映画を観て泣かないことの方が少ないけど、ほぼ全編ずっと泣いていたカモンカモンさえ、じんわりした涙だったけど、この映画は、静かでいるのがつらい涙だった。子供みたいにわんわん泣きたくなった。もちろんそんなことしなかったけど。

 


セリーヌシアマの映画はどれも、パンっと叩かれたような涙がでてしまう。「なにかを感じて、だから泣いている」ということを理解する時間もないまま、つまり訳もわからず、涙が出てくる。Girlhoodでも、そうだった。そういう意味で、1回目、ところどころ文脈を探りながら、「”理解している”と思わないまま」観ていたのは、ある意味よかったというか、貴重な体験だったんだと思う。

 


ネリーとマリオンみたいに、私も8歳のとき、8歳の母と同じ時間を過ごせたら。

私は母に対して、For I am all that I am because of all that you are. と思っているから尚更。ああ今こうして書いていてまた涙が出てきてしまう。

 


2回目は、まず、「昔の壁紙だ」とか、ノートとか、杖で、初めからClueがたくさんあったことに気づけたこと (というか、1回目そのClueに気づかなかったんかい自分)がよかった。

 


ご飯を食べる音、歯を磨く音、そういう、毎日生きている証拠の音がはっきり聞こえてくること、それもまた素晴らしい。

 


セリーヌシアマは、また脚本が天才だと思う。「相手にこう思わせたい」みたいな言葉の使い方をしていない 、と少なくとも私は感じる。(観客という意味の “相手” もそうだけど、映画の中で言葉が発されている相手という意味の “相手”という意味でも)

 


「未来から来たの?」「後ろの道から」がまたいい。

あと、「帰ってこなかったらどうする?」というマリオンのどっちにも捉えられる言葉があり、そのあとネリーが「大丈夫」的なことをいう (手術で大丈夫なことを知ってるから)。だけど、「あなたのママが」で、ひとつ前の言葉の意味が変わる。

 


誕生日の歌、もう一回、というのも、もう素晴らしいとしか言いようがない。誕生日を祝うことは、生命を祝福することだから (ということに、私は今更気づいた。前は結構ただの日だと思っていた) 

 


私は子供という存在を奇跡だと思ってるから、スクリーンいっぱいの彼女たちの、そしてこんな全面的に生命を祝福している映画もまた、奇跡だと思える。

 


映画が終わり、「未来の音楽」を聴こうと思ったら、ただ映画の中で未来の音楽と言われているだけでなく、これは、Para Oneという方が手がけた、「未来の音楽」という名の曲で、この「未来」は、ただ時系列的な未来でなく、まさに子供のことを指しているのだとわかり、さらにまた泣く。Children are the future.

 


Para One は、Girlhoodや、Portrait of a lady on fire の曲も手がけている人らしい。もっと色々聴いてみよう。

 


秋の午後の光、夕方の暖かい、そして熱いほどの光。