毎年特に忘れられない映画を、永遠の映画と題して記録をつけようと思っていたのだが、早速昨年分(2021年分)書いていなかった。ので、今年の分(2022年分)を載せる前に載せたい。
※ All the pictures belong to their rightful owners.
①二重のまち / 交代地のうたを編む
監督 : 小森はるか・瀬尾夏美
この映画に「当事者ではない他者による語り」という技法を使ったこと自体が、人が人を理解したいと思うこと、自分の想いを誰かに、誰かの想いをまた別の誰かに伝えたいと思うこと、というその祈りや願い自体を描くことになっている。「当事者の声」が大切というのはもちろんなのだが、あえて、「(当事者ではない)他者」に語らせることによって描くことができる、"繋がる" ことに対する切実さと希望がある。
完全にわかることなんてできないけど、わかりたい。言葉を選び、それでも伝えられないものがあって、でも伝えたいから言葉を探す。想像しても想像しきれないものがあって、でも想像する。ということ自体を。その難しさや、その願いそのものが、人間の希望である「つながり」であるということが、まさにドキュメントされている。
そして、寓話でしか語れないことがあるということ。フィクションでしか伝えられないノンフィクションがあるということも。
監督 : ダグラス・サーク
The greatest love story I will never forget.
この映画のこと考えるだけで泣きたくなる。
③プロミシングヤングウーマン
監督 : エメラルド・フェネル
マスクが涙でびたびただったし、しばらく映画館の席を立てなかった。悲しみというより怒りと闘志の涙だったし、この映画の感想として、「主人公サイコw」みたいなもので終えられる人がいることに関しては、もはや腹立たしいなどの感情はなく、その痛みを分からないならラッキーだねという気持ちだった。コメディ、スリラー、ラブロマンス、クライム、ドラマ、と2時間弱の映画の中でジャンルをびゅんびゅんまたぎながら (まさに人生には一貫したジャンルなんてないように)、次に何が起こるかを予測させない。
ラストシーンについては、キャシー=キリストとの見解がいちばんしっくりきてる。
監督 : テレンス・マリック
生命はどう考えたって神秘的なものだし、やはり命は美しく、また美しいと思えなくなったら生きていけない (私は)。因みに言っておくと、醜さも含めて美しいのである。
その美しさをそのままに捉えようとしたのがテレンス・マリック (とエマニュエル・ルベツキの撮影) だと思っている。テレンス・マリックの全ての映画を観たわけではないが。
子どもが世界に触れていくこと、風や光や水に、大地に。それはやっぱり奇跡としかいいようがない。モルダウのシーンは圧巻すぎて、映画館で上映される時があれば絶対に観にいきたい。
⑤本当に僕じゃない!
監督 : フィリップ・ファラルドー
あまりにも予想外な素晴らしさで泣いたり笑ったりと忙しすぎた。
いかにも子供がいいそうな、私も子供の頃 (といっても、私は中学生の頃だったが)散々言ってきた嘘の重ね方、問題のかわし方 (ギリかわせてない) を使い、トラブルだらけ、予想外だらけ、怒られだらけ、それでも理解してほしい、愛してほしい。愛なんて言葉が全くしっくりきてない年だとしても、それを追い求め、探し続けるレオンに自らの幼少期を重ねざるを得ない人は多いのではと思う。そしてそのレオンは常にまだ自分の中にいるということも。
⑥タレンタイム〜優しい歌
監督 : ヤスミン・アフマド
私はこの映画を観た時、なんとかしてやっと観れたという記憶があるんだけど、今アマゾンプライムとU-NEXTで観れるらしいので観てほしい。オールタイムベストの1つ。
涙が出るほど、温かく、優しい。
そういった言葉のネガティブな側面 (生ぬるいであったり、表面的な好都合であったり)を一切排除した、絶対的な温かさと優しさがある。
⑦やさしい女
監督 : ロベールブレッソン
ロベールブレッソンは好きな映画監督のうちの1人。「たぶん悪魔が」はブルーレイを買ったくらいだけど、これと、「白夜」も買いたい。
一度観た後、もう一度全ての台詞を読みたくなる。研磨された、無駄を全て削ぎ落とした言葉たち。鑑賞者の脳をスパスパと研ぎ澄ましていき、社会的なクッションの言葉、嘘の言葉でぼやぼやになった脳みそをクリアにしていく。
音楽は彼女のかけるレコードからしか流れない。最小限まで無駄肉が削ぎ落とされた時間空間で鳴る唯一のドラマチックさ、肉々しさがストレートに身体に響く。