(ちなみにこの写真は Keaton Henson の、"Idiot Verse". 朝ごはん食べながら読んでた.
単純に文字の音の響きが好きだった文、or とにかく気持ち悪さがあった文、or 読んでいて笑った文、or 自分自身とkind of resonate した文、or 誰かを想起した文、or彼らとの時間を思い出した文を、そのままここに並べていこうと思う(順不同)。
コンテキストが関係ないから、この本を読んだことがない人にとってはさっと目を通すだけでは?だと思う。でも逆にお話を知らない方が、それぞれの文のインパクトは強いと思う。
一文一文じっくりとどうぞ☕️。
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・死は生の対極としてではなく、その一部として存在している
・自分がこれまでの人生の過程で失ってきた多くのもののことを考えた。
・もし私があなたの中に何かの傷を残したとしたら、それはあなただけの傷ではなくて、私の傷でもあるのです。
・「まず第1に相手を助けたいと思うこと。そして自分も誰かに助けてもらわなくてはならないのだと思うこと。第2に正直になること。嘘をついたり、ものごとをとり繕ったり、都合のわるいことを胡魔化したりしないこと。それだけでいいのよ。」
・僕はそんな予想もしなかった記憶の奔流(それは本当に泉のように岩の隙間からこんこんと湧き出していたのだ) にひたりきっていて、
・細胞の隅々から疲労感を一滴一滴しぼりとるように深く眠った。
・あの子を助けたいと思うんじゃなくて、あの子を回復させることによって自分も回復したいと望むのよ。それがここのやり方だから。
・どう好意的に見ても詩的な空間とは言えなかった。
・カーテンはときどき洗うものだということを誰も知らなかったのだ。カーテンというのは半永久的に窓にぶらさがっているものだと彼らは信じていたのだ。
・僕がヌード写真を貼ると「ねえ、わたなべ君さ、ぼ、ぼくはこういうのあまり好きじゃないんだよ」といってそれをはがし、かわりに運河の写真を貼ったのだ。
・顔を洗うのにすごく長い時間がかかる。歯を一本一本取り外して洗っているんじゃないかという気がするくらいだ。
・「うまくしゃべることができないの」直子は言った。「ここのところずっとそういうのがつづいているのよ。何か言おうとしても、いつも見当ちがいな言葉しか浮かんでこないの。見当ちがいだったり、あるいは全く逆だったりね。それでそれを訂正しようとすると、もっと余計に混乱して見当ちがいになっちゃうし、そうすると最初に自分が何をいおうとしていたのかがわからなくなっちゃうの。」
・僕はまわりの世界の中に自分の位置をはっきりと定めることができなかった。
・同時に深刻になるまいと努力していた。深刻になることは必ずしも真実に近づくことと同義ではないと僕はうすうす感じとっていたからだ。
・人々を率いて楽天的にどんどん前に進んでいきながら、その心は孤独に陰鬱な泥沼の底でのたうっていた。
・体の中の何かが欠落して、そのあとを埋めるものもないまま、それは純粋な空洞として放置されていた。
・他人には何も教えずに一人で物事を管理することに無上の喜びを感じるタイプの俗者なのだ。
・「私、あなたのしゃべり方すごく好きよ。きれいに壁土を塗っているみたいで。
・彼女は教師に向かって「遅れてごめんなさい」的な微笑を浮かべてから僕のとなりにすわった。
・この連中の真の敵は国家権力ではなく想像力の欠如だろうと僕は思った。
・「べつにかまわないよ。僕は時間のあり余っている人間だから」
「そんなに余ってるの?」
「僕の時間を少しあげて、その中で君を眠らせてあげたいくらいのものだよ」
・「ー私が今少し疲れているだけ。雨にうたれた猿のようにつかれているの」
・「空気の匂いで大体の天気はわかるのよ」
・窓からは一昔前のポーランド映画みたいなうす暗い光がさしこんでいた。
・「People are strange when you are a stranger」
「ピース」と緑は言った。
「ピース」と僕も言った。
・(英語の仮定法現在と仮定法過去が日常でどう役に立つのか問う緑に)
「日常生活の中で何かの役に立つということはあまりないね」と僕は言った。でも具体的に何かの役に立つというよりは、そういうのは物事を系統的に捉えるための訓練になるんだと僕は思っているけれど」
・ビールを飲みピツァをかじりながら奇蹟のように美しい夕陽を眺めていた。世界中のすべてが赤く染まっていた。僕の手から皿からテーブルから、目につくもの何から何までが赤く染まっていた。まるで特殊な果汁を頭から浴びたような鮮やかな赤だった。
・彼女と一緒にいると僕は人生を一段階上にひっぱりあげられたような気がした。
・僕は自分がこの奇妙な惑星の上で生を送っていることにたいして何かしら不思議な感動を覚えた。
・直子への手紙の中で僕は素敵なことや気持の良いことや美しいもののことしか書かなかった。草の香り、心地の良い春の風、月の光、みた映画、好きな唄、感銘を受けた本、そんなものについて書いた。そんな手紙を読み返していると、僕自身が慰められた。そして自分はなんという素晴しい世界の中に生きているのだろうと思った。
・「ねえワタナベ君、いつからそんなひどい顔してるの?それとも東京では最近そういうひどい顔がはやってるの?」
・「でも〈気が狂いそう〉って素敵な表現だと思わない?」