(Usual after-school in Seattle)
誕生日の子どもたち/トルーマン・カポーティ 村上春樹訳
・ミス・スックはそれまで終始孤立した自分一人の世界で生きてきて、社会経験を持たず、おかげで無垢さは手つかずで保たれていたのだが、同時に、そこまで完璧な悪意があるということを理解できなくなっていた。
・「人を憎んだことなんて一度もないよ。私たちはこの世に生まれて、限られた時間をいただいているんだ。だからそんなつまらないことに大事な時間を費やしているところを、神様のお目にかけたくないんだよ」
・僕はそれを聞くまいとつとめた。なぜかといえば母は僕を出産したせいで自分の身体が壊されたと告げることによって'僕を'壊していたからだ
・世の中には生み出された作品そのものより、それを生みだした人物の方に興味がかきたてられる種類の作品がある。たいていの場合人はそのような作品の中に、かたちにすることができない、自分ひとりだけが知覚できるものだとされまで考えていた何かを見出すことができるからである。そして首をひねる。この人物は何者だ、どうして私のことがわかるのだ。
・なんだって俺はいつも愛人の中に、破壊された己れの姿を見出さなくてはならないのだろう?
・「だがね、人間に自由を与えてくれるものは何か、お前それを知っているかね?」
「なんです?」
「意志だよ、自分自身の意志だよ。これは、権力までも与えてくれる。自由よりもっと貴い権力をね。欲するーということができたら、自由にもなれるし、上に立つこともできるのだ」← ここでの権力、上に、というのは"自分自身に対して"だと思う。自分の人生に対して主体性を持つということ。
架空の球を追う/森絵都
・大切なのは丸腰でも堂々と立ちむかうこと。
・何かと何かの狭間にあって、ひどくいびつで、歪んでる。だから僕は和むんだ。
アーモンド入りチョコレートのワルツ/森絵都
・ピアノの音色は人の心の足りないところを埋めてくれる。
・音符と音符が複雑に絡みあい、もつれあって生まれるフレーズが、つむじ風のように耳をすりぬけていく。追いかけようにも、追いつかない。わざと聴き手をはぐらかし、逃げまわるような音律がこれでもか、これでもかと織りなされていく。
・(シューマンの「子供の情景」を聴いて)、この作品集はぼくらをもてあそんでいるとしか思えない。
角田光代さんのこの本の解説より
・森さんの書く小説はかぎりなくやさしい。やさしいのに、さわさわと手触りがいいわけではないのだ。きれいごとを慎重に排しているせいで、どちらかというと、ごつごつしている。いわば骨太のやさしさ。そうしてそこには、私がかつて抱いていた弱さ、卑怯さ、無責任さは微塵もない。やさしさというのはものすごく力強い何かだと、森さんの小説はたしかに思わせる。それは作者の覚悟なんじゃないかと私は思う。
5月27日