norika_blue

1999年生まれ

結局言葉を使ってしまう

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(写真 : おばさんのつくるタイカレー本当おいしい)


インスタグラムのビデオ、ある特定の音楽を聴いている時のわたしのテンションとか、その音楽を聴いた時脳にポッと浮かび上がるイメージとか、音が流れた時に色がみえるような感覚になるときの色とかを、言葉以外の方法で視覚化したらどうなるんだろう~と思って作った。

 

2こ目のビデオに使った曲はThe døのSparks。初めてThe døをきいたときは衝撃を受けた。なんだこのかっこよすぎるバンドは…となった。上品なのに反骨的で、何かの祭りのようにカラフルなのにどこか血を思いださせるダークさがあった。そして絶望的な強い生のエネルギーが踊っている。

 

(ちなみにここで 「なのに」という表現をしているのは、かつてわたしの中でこれらは一緒の場に存在しないものだったからだ。(今はそんなことないけど) 。でもそれが、コラージュのようにつぎはぎにされて同じ場にある。

 

 

Sparks はその中でも、最初の11秒くらいの金に近い黄色の雲の上をさまよっているような神々しさと、その後の一気に地上に戻される感覚、その2つが合わさったときのどこに行きようもないパワーに圧倒された。そして、この曲を聴いたときのこの感覚を、自分の中だけにとどめていられなくなった。そしてそのときパッと、昨年の夏のヨーロッパに行ったときの動画を組み合わせることを思いついた。

 

 

文章はパッチワークの存在。例えば、わたしが書いたこの文章のひとつひとつの「単語」は、当たり前かもしれないけど、わたしがつくったものじゃない(まぁ時に自分で勝手に単語をつくりあげることもあるけど)。それぞれひと単語ずつ辞書を調べれば出てくるだろう。辞書に載ってるくらい「共同化されている」ということだ。でも一単語ずつもつ感覚は人によって微妙に違ったりする。どうやって組み合わせるか、どんな順番にするか、どの言葉を選択するか、少し語尾を変えてアレンジするか、どこで句読点をつけるか、そういうのを決められるのって、ある意味自由で最高だ。書き言葉の魅力のひとつだと思う。

 

 

書いていて思い出したけど、映画のリメイクのとき監督によっては「この映画のあらすじをリメイクしたいのではなく、幼少期に私が初めてこの映画を観た時のあの感情をリメイクしたい」というのをきく。感情をリメイクする、それが今のものでも過去のものでも、感情を「悲しい」とか「侘しい」とか言葉に当てはめて自分の外に出すのではなく、その監督たちは映像と共に感情を練りこんだんだと思う。そういうときって自分以外の人に自分の感情を「伝える」という意図でやってるのではない気がする。 

 

一種の言葉を捨てたかった。動画は音楽に対して言葉ばかりを使わないための試みでもある。そしてこうやって書いてるときと同じくらい写真や動画を組み合わせていくのは楽しいのは、ほんとうだ。

 

特定の音楽に対する、この細胞ひとつひとつが踊ってるようになる感覚を、胸がしめつけられて泣きたくなる衝動を、魂の実在を信じたくなる幻想さを、それでも確かにここに存在するという確証さを、外部の空気が自分の脳の世界の温度に変わっていく気持ち良さを、体の内側で渦巻く振動を、言葉以外のなにかを使って外に放出してみたかった。

 

 

わたしは言葉が大好きと思うし言葉で形成された世界の住民であるし、さっき言ったみたいに言葉のパッチワーク性が大好きだし、言葉への永遠の信用をある意味持っているけど、言葉である限り”絶対に”消すことができない性質である、その不安定さと軽薄さと裏切り性にどこか気持ち悪さを抱いていた時もあった。それはきっと、言葉があまりにも近くにありすぎることとも、関係していると思う。

 

でも言葉にも種類があることを知った。それは、詩に出会ったことがまず何よりも大きいし、「わたしは踊りを言葉にする」と言うダンサーの存在や、服のもつ言語性について知ったことなどが関係している。あと、絵画のジャーナリズムとしての機能性を知ったことも、この「言葉の種類」について考えるきっかけとなった。

 

そして、また言葉が好きになりはじめた。自分の中に次々と生まれてくる言葉を鬱陶しく思うことが少なくなった。それで、また書くことが好きになった。

 

分かりやすさを求めるのか否かではなく、あくまでも同じものを言葉を使うか他のものを使うかして外に放出している、という感覚でいることは楽しい。そういれるのは、状況が限られている。大学の授業のディスカッションとかでは「伝わりやすさ」「分かりやすさ」を無視することはできない。でも、そうじゃないときは、遊べる。言葉のパッチワークを永遠に楽しんでいたい。だからやっぱりこうやって言葉を使ってブログに夜な夜な好きな音楽についての文を書いてしまう。