norika_blue

1999年生まれ

精神分析

今改めて、精神分析を受けてみたいが、受ける側の最初のハードルとしては、「心に浮かんだことを精査せずに言う」という "自由連想法"を通らないといけないところだろうな (少なくとも私にとっては)

 

"カウンセリング" と "精神分析" という分類の仕方に関しての正確なところは少しだけ調べたくらいでは理解できなかったので、私が中学の時に受けたあれが、果たしてカウンセリングだったのか精神分析だったのか、そもそもその二つは常に重なる部分を持っているのか、よく分からない、が、少なからず精神分析を意図したものだったと思うので、そう呼ぶ (そして、その時の先生のことは、矛盾的だが"カウンセラー" と呼びたい。)

 

あの時は、カウンセラーが答えを出しやすい (と私が思った) or カウンセラーに自分のことをこう思ってほしい、というエピソードしか話さなかったので、ほとんど意味がなかった、と今になって思う。「心に浮かんだことを話す」と言っても、まずは心に浮かんだことを自分で認識すること (言葉にすること) 、そしてそれをカウンセラーとはいえども他者に曝け出せること、の両方が必要であり、そのどちらもできなかった。


+話したことは全て親に流れると思っていた&お金も時間も無駄だと思っていたので、早く終わらせるためにポジティブなことしか言わなかった。だけど今思えば、プロが相手なのだから、そして少なくとも自分の気持ちを話してみようという気が少しでもあったなら、お金も時間も、もう少し使わずに済んだのかもしれない。

 

 

そして今、もう一回、精神分析を受けてみたい。信頼できるカウンセラーの元で。自分が何を思っているのかを少なからず言葉にできるようになったからこそ。それをただただ話したい。

 

 

ただ話したいときがある。一貫性とか、イメージとか、期待とか、そういうことを考えずに、ただ話したいとき。気が引けるとか、相手を傷つけるとか、負担になるとか、悲しませるとか、そういうことを考えずに、ただ話したいとき。

 

それはきっと、私だけじゃなくて、みんなあるものだと、そう思ってる。だから、私も、ただ話したいときがあるから、その人がただ話したいとき、ただ聞きたい。少なくともそういう思いでいる。ジャッジするとか、されるとか、そういうことを抜きにして。意見が必要とされる時・意見を言う必要がある時、そういう時もあるが、それは別次元の話だと思ってる。その前に、まず個人の紛れもない思いとしてただ聞きたい。なぜならその人がどう感じてるのかは、大切なことだから。

 

 

話してくれる、聞いてくれる友達がいることは、私にとって人生の宝だ。それは絶対に間違いない。

 

同時に、このはてなダイアリーがあってよかった、とも思う。このポストだって、私の「ただ話したい話」だ。なぜ日記に留めておけないのか?とはずっと思ってるし、その理由を考えようとしてつらつらと書くという投稿を何度もしてきたわけだけど。結論がそこにあるとすれば、日記には留めておけないのだ。誰が読んでいるのかも分からないし、誰も読んでいないかもしれない。それでも公開にして書きたいんだ。ただ外に向かって書く、ただ話す、それがしたいだけ。

 

そして、それを、カウンセラーを相手に精神分析の一環としてやってみる、ということをもう一度やってみれたらと結構本気で思う。何か悩みごとがあるというわけではなく、そうしたらどうなるんだろう、という興味本位で。