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1999年生まれ

Quotes and musings (27)

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話の終わり / リディア・デイヴィス (
204ページまで)

訳 岸本佐知子 白水Uブックス

 


帯に、ミランダジュライが、「最も影響を受けた、いや、受けたい作家」とあったが、本当に。タオリンも、「話の終わり」を5回読んだ、と言っていたが、それも本当に (私は5回も読んでないが確かに何回も読みたくなる。文体の良さに加えてミステリー小説の種明かしをするような意味でも)

I love the way she writes.もちろん、岸本さんの和訳がさらに好き、というかこの和訳だから好きなのは確実。

 

もうひとつ、この本は失恋の本でもある。私は失恋したことないが (恋愛したことがないので)、きっと失恋したらバイブルのように読み返す本だろう。失恋した友だちにもこの本を送りたい。

 

今こうして、Quotes & musings を書きながらところどころ読み返していて、この本の良さをじわじわと思い返している。

 


長くなったので2ポストに分けたい。

 


7

旅はそれまでのところ不調だった。その男友だちとのあいだに奇妙な距離を感じていた。最初の晩、私は酒を飲みすぎて月あかりの景色の中で遠近感を失い、クッションのようにふわふわに見えた白い岩のくぼみにダイブしようとして彼に止められた。

 

 

 

19

そのとき彼と何を話したのかは覚えていない。もっともあの頃の私は、初対面に近い人と会うと、いろいろな雑念に気を取られて話の内容はまるで記憶に残らなかった。話しているあいだ自分の服や髪が変ではないかと気になったし、立ち方や歩き方、首と頭の角度、足の位置までもが気になった。歩いてなくて、飲んだり食べたりしながら話さなければならないときは、物を喉に詰まらせずに飲み食いできるかどうかが気にかかり、じっさいときどき詰まらせた。そういったことを考えるので手いっぱいで、相手の言ったことは、それに返事をするあいだは覚えているが、それ以上は考えないので、あとまで記憶に残らなかった。

 

 

 

21

カフェに戻ったあと、彼からの誘いがあり、私のためらいがあり、彼の大胆があり、私の誤解があり、それから彼の車の騒音、私の恐怖、夜の海岸線、夜の私の町、私の前庭とバラの木、クラッスラの茂みと木の柵、私の家、私の部屋、パイプ椅子、私たちのビール、私たちの会話、彼による虚偽の陳述、彼の再度の大胆、等々、等々。

 

 

 

22

店の外でそれぞれの車の横に立っていると、どこに行こうかと彼が私に訊いた。そこで彼はまたいきなり大胆になり、私の家に行こうと提案した。私がふたたびためらうと、彼は今度は謝った。その謝り方が慎ましく、そらを私は好ましいと感じた。彼についてまだ何一つ知らなかったので、彼が何か言ったりやったりするたびに、まるでヴェールが一つずつ取り除かれていくように、まったく未知の一面を見せられる思いがした。

 

 

 

23

彼といるときの私はいつも動作がぎこちなかった。部屋の中を歩くにも、椅子に腰をおろすにも、自分の腕や脚をうまく制御できない感じだった。彼に言わせれば、それは気持ちが先走りすぎているからで、自分の体が追いつかないくらい速く動こうとするからそうなるのだった。

 

 

 

28

だが駄目なときは寝巻のまま机の前に座り、ただ襟元から立ちのぼってくる生温かい自分の体臭をかいでいる。窓の外から途切れることなく聞こえてくる車の音を聞いて、時間が流れているというだけで何かが起こっているのだと考えたりする。そんな日には、半日でも着替えずにそうしている。

 

 

 

43

彼の名前を知らない状態はそのまま何日か続いた。その間ずっと彼と二人きりで過ごしたせいだ。彼は私と急激に親しくなっていったが、名前がないせいで、どこか他人のままのような感じがした。そしてついに彼の名前を知ったとき、それはまるで自分の夫とか兄弟とか子供の名前をあらためて知るような感じだった。けれども彼と深く知り合ったあとで知ったせいで、その名前は奇妙に必然性に欠け、べつにその名前でなくとも、他の名前であってもおかしくないように思えた。

 

 

 

47

彼を小説の中で何という名前にするか、そして自分を何というか名前にするか、私は長いこと決めあぐねていた。本当は彼の実際の名前と同じ一音節の英語名にしたかった。だがそれに合う名前をいろいろと探しているうちに、翻訳で難しい問題に突き当たったときによくやる逃げー唯一ぴったりくる答えは元の単語以外にないというーを、自分の頭がまたやろうとしているのに気がついた。

 

 

 

49

どうして自分に読ませないんだとヴィンセントは言った。彼がそれほど熱心に読みたがるのは、おそらく私についてもっと知りたい、わけても私が彼から隠している (と彼が思っている) 過去のヨーロッパでの “アバンチュール” (彼いわく) があった。だが私に言わせれば、神経質な痩せた男と四晩続けて一つ部屋に寝て、彼を起こさないように気を使い、あげくに自分が眠れなくなって、バスルームの床のタイルに座り込んで本をよもうとするものの酔っぱらいすぎていて書いてあることがさっぱり頭に入らない、そんなのを “アヴァンチュール” とはとても呼べなかった。

 

 

 

51

面白い話だと思うけれど名前が変だ、と彼女は言った。彼の名前はハンクでないほうがいい。ハンクと聞くとなんだかハンカチを思い出してしまう。そうエリーは言った。もちろんハンクという名前の男を好きになる人だっていないわけではない。

 

 

 

57

たぶん最初にあったのは彼に対するある種の渇望だった。ついでそれほどまでに強い渇望を私の中に引き起こし、それを満たしてくれる彼に対して優しい気持ちが芽生え、それが徐々に育っていった。私が彼への愛だと思っていたものの正体は、実はそれだったのかもしれない。

 

 

 

97

たとえ彼女が影響をうけなかったとしても、そのことを世間に知らしめたというだけで、彼の意図に反して短命におわってしまったその恋愛を、言葉という息の長いものに変換できたというだけで満足なのだ、と彼は言った。

 

 

 

104

問題といえば私の自信のなさのほうがもっと問題だが、なかでもいちばん問題なのが整理することへの自信のなさなのだ。書く労力はいとわないがら自分が何をやっているのかわからないままそれをやったり、自分のやっていることが正解だとわからないままそれをやるのは嫌だ。

 

 

 

117

そこに並んだ本の背表紙を、私は幾度となく眺めた。背表紙の色、タイトルの言葉、異なる世界のありようを指し示すそれらのものが、部屋を見るときつねに視界の片隅にかった。自分のすぐ近くにこことは異なる世界のしるしがあるのだと思うとうれしかった。 

 

 

 

132

彼の前の男も、その前の男も、私を迎い入れる余地など持ち合わせておらず、ただ硬い殻のようで、つねにせかせかと動き回り、あちらからこちらへ飛び回り、それもたいていは私から遠ざかるか私を素通りするかで、自分の用事で手いっぱいで、ごくたまに私と正面から向き合うことがあっても、そのときは私が彼らにとっての用事なのだった。だが彼はちがった、私に注意を向け、見つめ、耳を傾け、いっしょにいないときでも私のことを考え、私を認識するときには何ひとつ取りこぼさなかった。寝ているときでも彼の注意は私に向いていたし、半ば目を覚まして愛しているとも言ってくれた。他の男たちは眠るという自分の用事で手いっぱいで、眠りを邪魔されるとヒステリックに言ったものだった。「じっとしてろ!」

 

 

 

143

だがいっぽうで、彼のことを絶え間なくー彼がそばにいたときよりもよほど集中して絶え間なくー考えたせいで、彼の気配はいつになく濃密に部屋に満ち、私と私が考えようとする他の事物とのあいだにいちいち割って入った。私があんなことを思い、あんなことを言ったのは確かに彼への不貞だったかもしれないが、それによって私の中に強い熱意と自責の念が生まれ、かつてないほど一途で貞淑な気持ちになれたことを考えると、ほの不貞がある種の貞節を生み出したと考えられなくもなかった。だから私は永遠に独り寝を定められたかのように独りぼっちでベッドに横になりながら、同時に不思議なくらい彼の存在を近くに感じてもいた。

 

 

 

145

彼が何も言わずにいなくなり、完全に私の前から消え、帰ってくるかどうかもわからず、二人の間をつなぐ何の予定も、次に会う日時すらもなくなった以上、彼の存在を身近に引き止めておくために私にできるのは、意志の力で彼のありったけをたぐり寄せ、一刻一刻しっかりつかまえておくことだけだった。彼はある瞬間には完全に存在し、別の瞬間には一部しか存在しなかった。そして彼がそばにいたときに彼の匂いが私の鼻孔を満たしていたように、今は彼のエッセンスがー匂いや味だけではない彼のオーラが、彼の全存在を濃縮したエキスがー私のすみずみにまで浸透し私の中を流れていた。

 

 

 

146

車を運転しながら、私は確実にわかっていることとそうでないことを整理しようとした。私は声に出して言ってみた。彼がどこにいるかはわからない。けれども彼はどこかにいる。彼は生きている。彼は独りでいるか誰かといるかのどちらかで、その誰かは男か女のどちらかだ。もし女といるとして、彼はそのままその女のところで暮らすかもしれないし、暮らさないかもしれない。もし昨夜彼女のところに泊まったとしても、それはそれだけのことだ。もし朝になってもまだ彼女のところにいて、その次の夜も泊まったとしても、それもそれだけのことだ。

そうやって自分にわかっていることとわからないことをすべてはっきりさせると、もう一度わかっている最低限のことを自分に言い聞かせたー彼はいまどこかで生きている、彼の肌の内側で、座るか、横たわるか、立つか、歩くかして。彼はあの色とあの体温で、絶えずーごくかすかにせよー絶えず動いていて、ただそういったものすべては私の目の届かない場所にある。だが、これだけの強さで彼のことを思っているのだから、どこにいようと彼の姿が見えてもよさそうなものだとも思った。

 

 

 

172

けっきょく私は大して何もわかってないのだろうと思った。自分の彼への執着が何を意味するのかも、一人の異性を愛し敬うというのがどういうことなのかも、電話で彼が話した言葉の意味でさえも。無理に答えを出そうとすれば、一つの考えが他の考えよりも正しく思えてくる。他の考えは脆弱で曖昧に見え、でなければ私がそれらを考えるときに使う筋肉が脆弱に見えた。

 

 

 

181

四六時中彼のことが頭から離れず、日々の業務をこなすのがつらかった。日が暮れて夜になるのが怖かった。喉元を輪っかで締めつけられるような感じがして物がうまく飲み込めず、セーターの襟首をしょっちゅう引っぱってゆるめていた。だが喉を締めつけているのはセーターではなく、私の内側にある何かだった。

 

 

 

181

ベッドの中で眠れないまま咳をしているうちに、だんだん腹が立ってきた。もう遅い時間だったが、起きて彼に電話をかけた。彼は出なかった。私はますます腹を立てた。彼がアパートにいないということは誰かといっしょにいるということで、もし誰かといっしょにいるのなら、きっと私のことなど考えてもいないにちがいなかった。それが私にはいちばん耐えがたかった。きっと彼が私のことを考えていないだろうということが。彼に忘れ去られてしまったら、私はどこに存在しているだろう、いったい誰なのだろう。私はちゃんと存在している、私は私だといくら自分に言い聞かせても、まるで実感がわかなかった。

 

 

 

184

これ以上この関係を続けていく気はないと言われれば、もうそのことで言い争う余地はなかったが、せめてそれについて彼の口から説明してもらわなければ気が済まなかった。どんなに頼んでも、彼は私に満足のいくような説明をしてくれなかった。彼には説明する義務があると思った。かつて彼が私をふかく愛していたこと、そしてその彼と今の彼は同じ人間であること、だが何らかの理由で気持ちが変わってしまったのだということをきちんと私に説明し、その理由も説明する義務があると思った。しかるのちに、かつての私に対する気持ちがどんなもので、それがどう変化したのかを説明するべきだった。そしてまた不意打ちのようにして私を捨てたことも、長距離電話で話したときに私との関係は何も変わっていないと言ったのが嘘だったことも、認めるべきだった。

 


195

彼が去ってしまった今になって、彼に対して前よりも優しくあたたかな気持ちをもつようになったが、もし本当に彼が戻ってきたらその気持ちも薄れてしまうのは目に見えていた。彼が戻ってきてくれるのなら何だってすると今の私は思っていたが、それも絶対に戻ってくるはずがないのがわかってるからだった。以前の私は気難しく、彼に対して時には辛く当たった。今の私はただひたすら優しく温和だったが、そんな気分になるのはもっぱら自分の部屋で独りでいる時だったから、彼が私の優しさを感じることはほとんどなかった。以前の私は彼の気持ちなどお構いなしに、彼の欠点やまちがいを本人に向かって指摘した。今もしそれをやれば私は心を痛めるだろうが、かつて彼に与えたほどの痛みではないだろう。以前の私は自分が話すことを聞くのが好きで、彼の話すことにはあまり興味がなかった。そしてすべてが手遅れになり、彼が私に何も話したくなった今になって、私は彼の話を聞きたがっていた。

 

 

 

197

私はいろいろなものを憎んだ。それは自分の神経にさわるものを排除したいという感覚だった。

 

 

 

204

いつもいちばん辛いのは夜だった。せめて読書は進むだろうと思ったが、まるで集中できなかった。かといって眠ることもできなかった。早く床につくのは不可能だった。ベッドに入って動きを止めなければならないのが辛かったし、なにより電気を消してじっと横になっているのが苦痛だった。両目を塞ぎ耳栓をすることも考えたが、たぶんそんなことをしても無駄だった。ときには鼻や気管やヴァギナにまで栓をしてしまいたいと思った。悪しき想念がベッドの中に這いこんできて私をびっしり取り囲み、悪しき感情が胸の上にのしかかってきて息をできなくさせた。