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1999年生まれ

Quotes and musings (28)

長くなったので、パート2。お気に入りの文が多すぎる。

ここまで長くなると、著作権を侵害していないかがいよいよ心配になってくる。

 


話の終わり / リディア・デイヴィス (パート2。p.205〜255)

訳 岸本佐知子 白水Uブックス

 


208

彼の一部が私の中に入りこんだのと同じように、彼の中にも私の一部が入り込んでいた。私のその一部はまだ彼の中に残ったままだった。彼を見るとき、私は彼だけでなく私自身も見ていて、私のその部分が永遠に失われてしまったのを感じた。それだけでなく、彼が私を見る目の中から、かつて彼が私を愛していたころの私が失われてしまっているのも感じた。私の中に入り込んでしまった彼の一部を、私はどうしていいかわからなかった。二つの傷がそこにはあった ー 私の中にまだ彼の一部があることの傷と、私の一部が私から引き裂かれて彼の中にあることの傷が。

 

 

 

213

(あるパーティーに行って、特に何もせずに帰ってきた “私” とヴィンセント)

だが不思議にも、その旧い大学の部屋がどれも広々として美しかったのと、食べ物と飲み物と音楽があったこと、それに名札をつけたあの若い女性に感じよくさようならを言われたのと、そして何よりも、あれだけ大勢の人間が、私たちに向かってではないにせよ、笑い、話をしていたせいで、楽しく浮き立ったような気持ちが、今日になってもまだ余韻のように尾を引いている ー ヴィンセントも私も、ほとんど誰にも気づかれずに行って帰ってきただけだというのに。

 

 

 

214

他人といっしょに暮らすのは簡単なことではない。少なくとも私にとっては簡単なことではない。他人と暮らすと、自分がいかに身勝手かを思い知らされる。他人を愛することも私には難しいが、こちらのほうはだいぶ上達しつつある。最近では、もとの身勝手に戻るまでに一ヶ月も優しさが持続するようになった。かつて私は、他人を愛するというのがどういうことかを勉強して身につけようとした。そしてふだんだったら何の興味もない、イポリット・テーヌとかアルフレッド・ド・ミュッセといった有名な著述家の本から文章を抜き書きしたりした。たとえばテーヌは、愛するというこたは他者の幸福を自分の目標にすることである、と言っている。私はこれを自分の場合に当てはめてみた。だが、もし愛するということが他人を自分より優先させることだとするなら、そんなことはとてもできそうにないと思った。とるべき道は三つあった。他人を愛することをあきらめるか、身勝手をやめるか、身勝手なまま他人を愛せる方法を見つけるか。最初の二つはとてもできそうになかったが、ずっとは無理にしても、休み休み誰かを愛せる程度に身勝手でなくすることなら、できるようになるかもしれないと思った。

 

 

 

218

だがあのころの私は、完全にのめりこめるような本は選ばなかった。読んでいるうちに魂の一部がページを離れ、もう何度もしゃぶった古い骨を求めてあてどなくさまよいはじめるような、そんな本ばかり選んでいた。

目の前にページが開いてあるのに、そこに何が書いてあるのか理解できなかった。一つひとつの文章に懸命に意識を集中させ、文を形作っているさまざまな要素を全部いちどきに頭に刻みつけるようにしてようやく理解しても、次の瞬間には今読んだばかりのことを忘れてしまう。意識が絶えずページからふわふわと遊離し、そのたびに引き戻さねばならず、その繰り返しにすっかり疲れ果て、しかもそんなふうにしてやっと読んだ数ページも、まるで内容を覚えていなかった。

 

 

 

220

私はふたたび本を取り、ページに目をこらして続きを読みはじめた。重いものが私にのしかかっていていた。それは押し寄せる闇の重さだったが、私はそれを見まい、考えまいとし、あと何フィートというところでそれを食い止めていた。一行また一行と必死に目をこらして読み進め、大変な集中力の末に、しだいに物語が頭に入りはじめた。言葉に厚みを作るために、ありったけのエネルギーと集中力をふりしぼりながらではあったものの。

少しずつ、少しずつ、私がめくった本のページが私と痛みを隔てる防護壁を築き ー あるいはページの四辺が、私を物語の中に安全に匿ってくれる部屋の壁に変わって ー 私はしだいに前よりも楽に物語にとどまれるようになり、やがて痛みよりも物語のほうがリアルに感じられだした。

痛みのせいでゆっくりとぎこちなくではあったが、私はさらに読み進め、自分の不幸せと物語の悦びが次第に拮抗しはじめた。そしてそのバランスが充分に安定したとわかると、電気を消し、あっという間に眠りに落ちた。

 


↑この、本が自然に読めなくなるところ&それでも超必死に読もうとするところの描写がスーパーリアル

 

 

 

221

そのとたん、それまで力ずくで押し止めていた痛みが思いがけない激しさで一気になだれこんできた。唐突に涙がこぼれ、あまりに唐突だったので、涙は痛みとも私自身とも関係がないもののように思えた。涙はこみ上げ、あふれ、まばたきする間もなくビー玉のようにころがり落ち、私が驚きのあまりじっと動かずにいると、顔のくぼんだ部分にそのまま溜まった。

 

 

 

225

私はふと思った。彼がもう私に会いたがっていないのに、ただ彼の姿を見、彼の匂いをかぎ、彼の声を聞きたいというだけの理由で、当人の気持ちを無視して探しまわる私は、彼を人間以下の何かに貶めているのではあるまいか。何か受け身な、私が意のままに消費することのできるもの、食べ物や飲み物や本のようなものに。

だが、彼を探しまわっている私のほうこそ受け身だった。何もしないよりももっと受け身だった。なぜならそれは自分を昔のように彼の手の中に委ねたい、彼が何かをしなければならない存在に戻りたいという欲求だったのだから。能動的というなら、彼に対して最初から何もしないのが最も能動的な行動だったが、それが私にはできなかった。

私の眼の中には、彼の映像をとらえるためだけの部位があるようだった。眼の中のその筋肉は、彼の肉体をとらえてそれに合わせて収縮することに慣れきっていたから、目の前にそれがないと苦しいのだ。

 

 

 

229

彼女は笑顔を浮かべてさっそく話しはじめた。だが私の眼には靄のようなものがかかっていて、彼女の言っていることがよく聞き取れなかった。すでに私の頭の中には他のことがいっぱいに詰まり、脳を内側からぐいぐいと推していて、彼女の言葉が入る余地はなかったし、それに何か返事を返す余地はさらになかった。私は何とか彼女の言葉を聞き、それに対して言うべきことを考えながら、料理を作った。

 

 

 

231

ローリーが帰ると、雨の中を歩き回ったあのときからすでに何時間かが過ぎていて、その時間が頼もしい楯となって、私がそれまで感じ考えていたことから私を守ってくれていた。

 

 

 

233

電気を点け、目がキリキリ痛むほどまぶしいのを我慢して思いを紙に書きつけ、それで気が済むこともあった。あるいは本を読むか、起きてミルクを沸かし、それを寝床で飲むのでもよかった。飲み物それ自体が効いたのではなかった。母親か看護婦のように自分で自分の世話を焼いたという、そのことがよかったのだ。

 

 

 

246

まず最初に怒りがあり、ついでに悲しみが膨らんでいき、あまりにも悲しみが大きくなると一部だけでも書き留められないかと考える。そして気持ちなり記憶なりを正確に書き留めることができると、しばしば胸の中に穏やかな気分が広がった。書くときには最新の注意を払う必要があった。うんと丁寧に書くのでなければ、悲しみをその中に移すことはできなかった。私は激しさと用心深さを同時に備えて書いた。書いていると、身内に力がみなぎってきた。一パラグラフ、また一パラグラフと前のめりになって書くうちに、自分はいまとても価値あるものを書いているのだという気がしてきた。だが書くのをやめて頭を上げると力の間隔は消え、つい今しがた書いたものに何の価値も感じられなくなった。

彼についてあまりにたくさん書きすぎて、しまいに彼が架空の人物であるように感じられる日もあった。そんなときに不意に道で彼と出くわすと、彼が前とは違って見えた。自分はついに彼から実体を抜き取ることに成功した。そしてそれをノートに移しおおせたのだ。それはある意味彼を殺したのに等しい、そんなふうに思った。だが家に帰ってみると、実体はふたたび彼の中に戻ってしまっていた。それほどに私の書いたものは空疎で生気がなかった。

 


写真 (と思ったが、著作権が心配なのでやめる。ここまで載せておいて著作権どうこうだなんて、嘘っぽいかもしれないが、流石にここからは写真はやめておこう)

 

 

 

247

いま起こっていることはじつは過去に起こっていることなのだ、そう思おうとしてみた。現在はすぐに過去になってしまうと考えれば、今ここにいながらにして、それを未来から振り返るようにして見ることもできた。こうすると自分と現在のあいだに少しだけ距離ができて、その分楽な気持ちになれた。

 

 

 

250

いちど考えたことを失ってしまうのはいつだって悲しいが、今回のこれをとりわけ惜しいと思うのは、この感じにはたしかに覚えがあって、もう少しで思い出せそうな気がするからだ。だが実際は、考えたことは刻々と失われているのだ。一日はどんどん次の日のかなたに消えていき、多くのことがそれといっしょに消えていく。私はいくつかのことを懸命に正確に書き留めようとするが、その多くはまちがっているし、さらにその何倍ものことがこぼれ落ちてしまっている。

 

 

 

251

話したいことがあるのに人がそれを最後まで聞いてくれないことが、私には何より耐えがたい。もし誰かが耳を傾けてくれるなら、私は永遠にだって話しつづける自信がある。この町の郵便局の前に立って、えいえん誰かと時事問題を語り合うことだってできそうな気がする。

 

 

 

252

昔はまるで正反対だった。引っ込み思案でなかなか物が言えず、部屋が静かになるのを待ってからやっと口を開くといった風だった。しかも無難なことしか言わなかったので、私の言うことはたいがいつまらなかった。だが今の私は、小説の終わりがきて話すのをやめなければならなくなってもきっとまだまだ話し足りないだろうと、そんな心配をしている。

 

 

 

 


253

これからはもう独りきりなのだ、そう自分に言い聞かせると、安全な場所に逃げこんだような気分になった。自分の中の何かが死ぬか麻痺するかしてしまい、ほとんど何も感じずにいられることが救いだった。以前は何かを感じることが救いだったのに。たとえ痛みであっても。

 

 

 

254

私の中には、機械のように休みなくフル回転しているこの頭以外のものもあったのだ。この肉体は、ただ頭の道具としてだけでなく、ずっと昔から頭と二つで一組のものとして存在することもできたのだ。私のこの肉体と頭とは、互いに交流しあえるものだったのだ。