norika_blue

1999年生まれ

そんなのわかってる

 

全てが一時的だなんて、なにもかもがフェーズで、あるあるで、後から振り返ってドン引きしたり、自分は妄信的だったと思ったり、過去の自分の言葉を薄っぺらく感じたり (借りてる言葉のように感じたり)、全てを恥ずかしく思ったり、「あの時は分かってなかった」「広い世界を知らなかった」と、なるかもしれないだなんて、そんなのわかってる。

 

それでもその時に永遠だと思いたいくらいの強い気持ち、振り返って馬鹿だと思ってもいいくらいの熱、特別・唯一無二だと、たったひとつにものすごいエネルギーを注ぎたくなる気持ち、それって、そう簡単に経験できることじゃないよ?だからそこから離れて冷静になろうとすることで、失っているものもあるんだよ?@自分

 

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冷静になるのなんて簡単だから、冷静になりたくないって思ってるところがあり、だからこそ狂気から脱したいと思うところと、この狂気にもう少しだけステイさせてと思うところの、相反する二つの間で常に揺れ動いてる。

 

逆の概念がある、と思ったときにそのバランスを考えたくなってしまうが (もともと極端な性格だから、バランスを少しでも意識しないと本当に極端になってしまう) 、たとえば仮に、冷静と情熱を逆の概念として考え、自分の中でのその2つの納得できるバランスを見つけたと思ったとき、それはある意味、私がほんとうにとりたい「バランス」より、"冷静"が多い状態になってしまう。なぜなら、少しくらい妄信的なものこそが、情熱だと思っているところがあるから。「冷静と情熱のバランスがとれた」と思えてしまってる状態は、自分にとって理想じゃない。そこまで冷静でいたい、と本当は思えない。

 

少しくらい狂ってる (自分定義、自分比) でありたいと思ってしまう。

 

こういうことを書くと、それだと人に迷惑をかけてしまうとか、そういうツッコミ (自分ツッコミ) が出てくるのだが、"人に迷惑をかけてるかもしれない" という意識を持ちながらなら、少し狂っててもいいんじゃない?と思ってしまう。そして、私が本当に迷惑をかけてしまった人たちは、もしこれを読んだら、「何が "少しくらい狂っててもいいじゃない?" だよ。そのせいでこっちは迷惑を被った!」って言いたくなるだろう。それは、ごめんなさい。

 

 

真剣と開き直りが常に両方ある。

 

突き詰めたい気持ち、自分にとって重い気持ち、というものがありながら、ところどころ開き直っていかないと生きていけないところもある。