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1999年生まれ

Quotes and musings (21)

ハワイの空港での夕陽

 

トニオ・クレエゲル /トオマス・マン

実吉 捷郎 岩波文庫

 


26

(自分とは性格の違う、ハンスに心寄せるトニオ)

この当時彼の心は生きていた。そこには憧憬があり、憂鬱な羨望があり、そしてごくわずかの軽侮と、それから溢れるばかりの貞潔な浄福とがあった。

 

 

 


27

経験は、これが恋だと彼に教えた。ところで恋というものは、彼に多くの苦痛と災厄と屈辱を招くにきまっていること、そのうえ平和を乱して、心に様々な旋律を溢れさせるから、ある事をまとめ上げて、ゆっくりとその中から完全なものを作り出すだけの余裕がなくなってしまうことを、彼はよく知り抜いていたのだけれども、そのくせやはり大喜びで恋を迎い入れて、すっかりそれに身を委ねながら、心情の力を尽してそれを育んでいった。なぜといえば、彼は恋が人を豊かに元気にすることを知っていたし、またゆっくりと完全なものを作り上げる代りに、豊かな元気な心持でいたいと切望したからである…

 

 

 


54

「どうか『天職』はよして下さい、リザベタ・イワノヴナさん。文学は決して天職でも何でもない。それは呪いなのですよ ーいいですか。いつ頃それが感じられ始めるでしょう。この呪いが。早くから、恐ろしく早くからです。まだ当然安穏に、神とも世とも和らぎながら暮すべきはずの時代からです。

 

 

 


63

僕は人生を愛していますーこれは一つの告白です。どうか受け取って、しまっておいて下さいーまだ誰にもしたことのない告白なのですから。

 

 

 


103

彼は本を一冊、膝に載せているが、しかし一行も読んではいなかった。深い忘却、時空を超えた無碍の揺曵を、享楽しているのであった。


個人的ニューワード ;

揺曵 ようえい

①ゆらゆらとゆれてなびくこと

②響きなどがあとに長く尾をひくこと

(コトバンク)

 

 

 


106

トニオ・クレエゲルは、水浴と足早な散歩のあとの快い疲れを覚えながら、椅子に背をもたれ、燻製の鮭をのせた焼パンを食べていた。 ーベランダと海のほうへ向いて坐っていたのである。すると急に扉が開いて、その二人が手をたずさえて入って来た

 

 

 


113

(ハンスとインゲボルグ、トニオがそれぞれに恋した男女が一緒にいるところを眺めて)

その二人がハンスとインゲボルグというのは、一々の特徴なり服装の類似なりのためよりも、むしろ種族と典型との等しさ、あの晴れやかな鋼色の眼、明色(ブロンド) の髪を持つ種類としての等しさによるのだった。純潔と清涼と快活と、それから傲慢で同時に素朴な、犯しがたい冷淡とのまざったものを思わせる。あの種類として等しいからだった。

 

 

 


120

自分の加わらなかった宴に、彼は酔っていた。そして嫉妬のために疲れていた。以前の通り、まったく以前の通りだったのである。自分は顔をほてらせながら、暗いところにたたずんでいた。君たち、金髪の潑剌たる幸福な人々よ、君たちのための苦しみをなめながら、たたずんでいたのだ。そしてやがて寂しく去って来てしまった。ほんとは誰かがここへ来なければならないところだ。インゲボルグがやって来るはずのところだ。自分がいなくなったのに気付いて、そっと自分の後について来て、自分の肩に手を掛けてこう言わなければならないところだ。 ー私たちの所へいらっしゃいな。機嫌よくなさいよ。わたしあなたがすきなのよ。・・・しかし彼女は一向やって来なかった。そんなことは起こらぬものなのである。そうだ、ちょうどあの頃の通りだ。そして自分はあの頃の通り幸福なのだ。なぜなら自分の心臓は生きているからだ。しかし自分が今の自分になるに至った年月を通じていったい何があったのであろう。ー凝結だ。荒涼だ。氷だ。そうして精神だ。そして芸術なのだ…

 


彼は着物を脱いで寝床に入って、灯を消した。彼は二つの名を枕の中へささやいた。(nメモ ; 二つの名とは、彼が愛したハンスとインゲボルグ) あの貞潔な北国的な幾綴りである。彼にとっては、本来の根源的な恋と悩みと幸福との様式を、生活を、素朴で誠実な感情を、故郷を意味するものである。彼はあの頃から今日までの歳月を顧みた。己の経て来た官能と神経と思想との、すさみ果てた冒険を想い起こした。諷刺と精神とにむしばまれ、認識に荒らされ、しびらされ、創造の熱と悪寒とに半ば磨滅され、頼るところもなく、良心をさいなまれつつ、森厳と情欲という烈しい両極端の間を、あっちこっちへ投げ飛ばされ、冷やかな、わざと選り抜いた高揚のために、過敏にされ貧しくされ疲らされた揚句、乱れてすさみ切って責め抜かれて、病み衰えてしまった自分の姿を眺めたーそして悔恨と郷愁にむせび泣いた。

彼のまわりは寂として暗かった。しかし階下からは、籠り音にそして心を揺り寝かすように、生活の甘い陳腐な三拍子が、彼の所まで響き上がって来た。

 


メモ ; この本の個人的ひとつめのクライマックス。トニオが愛した二人、美しい二人、そして、「そのような人々」とは永遠に交わることはないのだと。壮大な片思い。そして静かな部屋で涙を流すトニオに薄く響くのは、階下で行われている宴会のワルツの三拍子…

 

 

 


123

僕の父は、御承知でしょうが、北方的な気質の人でしたー観照的で徹底的で、清教主義から几帳面で、憂鬱に傾いていたのです。母は漠然と外国的な血があって、美しく官能的で無邪気で、投げやりであると同時に情熱的で、また衝動的なだらしなさを持っていました。これはまったく疑いもなく異常な可能性とーそして異常な危険とを宿した一つの混合だったのです。この混合から生まれ出たのはこういうものでしたー芸術の中にまぎれこんだ俗人、よき子供部屋への郷愁をいただいているボヘミアン、やましい良心を持った芸術家でした。なぜといって、僕の俗人的良心こそは、僕をしてあらゆる芸術生活、あらゆる異常性、あらゆる天才のなかに、あるはなはだ曖昧な、はなはだ怪しげな、はなはだ疑わしいものを見出させ、単純な誠実な、安易で尋常な、非天才的な紳士的なものに対する、あのおぼれ心地の偏愛で、僕の胸をいっぱいにするものなのですから。

 


僕は二つの世界の間に介在して、そのいずれにも安住していません。だからその結果として、多少生活が厄介です。あなたがた芸術家たちは僕を俗人と称えるし、一方俗人たちは僕を逮捕しそうになる…

 


メモ ; まず、父と母それぞれに対して並べられた単語の羅列が良い。そして個人的に、これはどことなく私の両親と重なる。そしていよいよこの本のふたつ目の、そして1番大きなクライマックス。まさに英語のQuoteとして、”I’m weird to be normal, not weird enough to be an artist”

続きのパッセージ↓

 


124

僕は偉大な悪魔の美の道で、冒険を試みながら、「人間」を軽蔑する、あの誇らかな冷静な人々を嘆美します ーしかし彼等をうらやましいとは思いません。なぜなら、もし何かある物が文士から詩人を作り出す力を持っているとすれば、それは人間的な、いきいきした、凡庸なものに対するこの僕の俗人愛なのですから。いっさいの暖かさ、いっさいの良さ、いっさいの諧謔は、この愛から湧いて来ます。そして僕にはほとんどこの愛が、たとい諸々の国人の言葉と御使の言葉をとを語り得とも、もし愛なくば鳴る鐘、響く鐃鈸のごとしと書いてある、あの愛と同じものであるように思われるのです。

 


個人的ニューワード : 諧謔 (かいぎゃく)

おもしろさと共感とが混り合った状況を描写する,言葉または動作による表現。機知や滑稽と同じく笑いを引起す。(コトバンク)

 

 

 

125

この愛を咎めないで下さい、リザベタさん。それはよき、実り豊かな愛です。その中には情景があり憂鬱な羨望があり、そしてごくわずかの軽侮と、それから溢れるばかりの貞潔な浄福とがあるのです。

 


メモ ; 今更気づいたが、ラストの言葉、前半でハンスに対して書かれた言葉と同じだ。それは「晴れやかに潑剌とした、幸福で愛想のいい凡庸な人々 (それはハンスであり、インゲボルグであり、大衆) 」に対してのトニオの愛という点で同じなのだ。ごくわずかの軽侮、そして羨望、それでいてやはり彼らに対して持っているものは愛、というこれこそがいちばんのクライマックス。

 

 

 

実吉 晴夫のあとがきより

129

真の芸術家は、「アウトサイダー」としての一面をまぬがれえない。したがって芸術家は、その性格の根源において病人や狂人や犯罪者と数々の面で深いつながりをもつことになる。それゆえに芸術家な、つねに「やましい良心」を持たなければならないし、また同時に「尋常で端正で貞潔な」平凡な人々に対して、「つまり凡庸性の法税へ向かっての、ひそかな烈しい憧憬」を抱きつづけなければならない。「あるところのもの (was man ist) 」、すなわちありのままの自分に完全に「満足」しきった芸術家などというものは、真の芸術家にとって「嘔吐」の対象でしかない。

 


メモ : そして重要なのは、トニオは自分が「芸術家」にもなれていない、と感じているところ。芸術家への永遠の憧れを抱きながら。だけど、自分を「芸術家」と思っている芸術家など、本当に「芸術家」なのだろうか?それが「芸術」として社会的に、他者に認識されるかどうかなど、「芸術」にとって必要なことだろうか?それへの意識は、実は芸術家から芸術を引き離すのではないか?