(サントラ聴きながらこれ書いてた。(昨日)
土曜日、久しぶりに映画を観た。
天気の良い休日。昼前から友達に会ってブランチ、素晴らしく快晴なので散歩がてら一駅分歩きつつ、カフェでピスタチオのケーキとサクラティーを飲み、近況を話す。
そして、急遽チケットを取ってBONES AND ALL.
映画自体が久しぶりで、最後に観たのは劇場での約1ヶ月前のRRR. そのあと、家では1本も観ていなかった。
映画の後、しばらくぼーっとした気分になった。映画館を出てから、周りの景色に対してぼーっと浮遊感を感じながら、駅まで歩くこと、電車の中でもずっとその映画のことを考えていること、なんともいえない久しぶりの気持ちだった。(ただ映画館的体験というのではなく、RRRでのときとはまたやはり違うのだ)
BONES AND ALL.
Luca Guadagninoの欲望三部作 (ルカ自身がそういうように)を得て、集大成のように思える。
食べたい、という欲望。愛への飢え。食べるだけでは、満たされない欲望。食べないと満たされない欲望。愛ゆえに食べるのか、愛の欠如ゆえに食べるのか。
他の人間の一部を自分のものにせずには、生きていけない。一部じゃ足りない、丸ごと自分のものにしたいという欲望。自分に別の人間を取り込まなくては、生きていけない。それが、不特定多数に対しての渇望から、たった一人の愛する人に、自分が “食べられる” 対象となることを望むということ。
ハッとするくらい澄んでいる空気。ただ広がる道と大きな空に対して抱く美しさと、そこにある痛々しくも神聖な孤独、そして、自由を感じるときの全能感。それは私にとっては、懐かしい感情だから尚更、この映画のロードトリップシーン (という言い方が正しいかはわからないが)は、尊く、かつその若さには感傷的な気持ちにすらなる。
この “若さ” は、血肉さ、ということでもあって、今の自分にも存在するもの、かつこれからどんなに年齢を重ねようともなくならないであろう、なくなりたくない、”生身さ” の感情だった。
観たばかりで、まだ全部の感情を書けないけど、逆に書く以外にどうしたらいいのかわからない。
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その他メモ。
・リーが、父親をただ殺すのではなく、食べたことについて。
・このギター調のサントラとロードトリップは、何かを思い出させるとこあるぞ、、?
ガス・ヴァン・サントのマラノーチェなような、別の映画のような、、
・映画のあと、予告編を観るのが好きなのに、この映画の予告編はどれも。。。
・黒人少女×白人少年という構成が、WE ARE WHO WE ARE と同じなのは偶然とはいえない気がする。
・Your Silent Face が流れたときは超テンションがあがった。