norika_blue

1999年生まれ

最近

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(まだコロナが広がる前に授業終わりにカフェで食べたプリン。陽気なおっさんがやってるお店で、いつもカリプソが流れてる。)

 

music: Adore by Christopher Gordon (Again)

 


「ただ日々は、意識の焦点が移りゆくことで、晴れやかになったり翳りを帯びたりしながら流れていく。」- 梨木香歩

 

 

目が覚める。窓をあける。ベッドから起きあがる気がないのでそのままベッドの横に置いてある本を読む。文字が頭の中に浸透していく。風がとても心地よくて本の世界に没頭する。夜の静寂とは全く違う種類の朝の静けさ。その静けさに幸福を感じる。30分くらいたってやっと起き上がる。

 


冷たい水で顔を洗い歯を磨く。入念に化粧水を塗る。やっと1日が始まる。

 


遅めの朝食をつくる。最近はミルクティーにハマっているから濃い目の紅茶を入れる。食パン(シアトルでは無縁だった食パン! トースターがあることがこんなにも朝に幸せをもたらすとはね。) をパン用ナイフで切る。そのあとに表面にもギザギザに跡をつける。このギザギザにバターが染み込むようにするためだ。紅茶を大きめのマグカップに注ぎ、たっぷりのミルクを注ぎ込む。深いオレンジ色の液体に滑らかな白さが加わる。

 


朝ごはんを食べる。あその前にトマトジュースを飲む。トマトジュースって家での朝食には欠かせない。パンが焼けたらママが買ってきたくるみバターを食パンに塗る。塗るたびにパリッとした音を食パンがたてる。幸福の音。キッチンがパンのにおいに包まれる。

 


ゆっくりパンを頬張る。バターの甘みが口の中に広がる。熱々のパンのその感触、ふんわりした香り、パンの表面と内側が重なってたてるじんわりとした音。五感全てが活性化されるその瞬間。紅茶は温かく、ゆっくりと私の臓器を起こしてくれる。

 


・・・

 


食べ終わったらお皿を食洗機に入れる。二杯目の紅茶をマグカップに注ぐ。最近1日に何杯飲んでるんだろうってくらいミルクティーを飲んでいる。

 


そのあとはニュースをチェックして、本の続きを読む。(このニュースをチェックということに関しては後述する。)

 


ああ読書ってなんて最高なんだろう。脳の中にじんわりと広がっていく文字の世界。昨日東欧映画の授業(オンライン)で教授が引用していた、Bohumil Hrabal の言葉を思い出す。

 


“Because when I read, I don’t really read; I pop a beautiful sentence into my mouth and suck it like a fruit drop, or I sip it like a liqueur until the thought dissolves in me like alcohol, infusing brain and heart and coursing on through the veins to the root of each blood vessel.”

 

Quarantine中に読んだ本。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

不思議な羅針盤

謎めいた肌
村田エフェンデイ滞土録
架空の球を追う
全て真夜中の恋人たち
Stoner
鍵のない夢を見る
存在の耐えられない軽さ
生きるとは自分の物語をつくること
アルケミスト

 

漫画

ポーの一族
トーマの心臓
ダンス・ダンス・ダンスール (1-3 巻)
パーフェクト・ワールド (1-3巻)
Papa told me (1-6 巻)

 

存在の耐えられない軽さについて少し書きたい。

 

「存在の耐えられない軽さ」、今朝読み終わった。チェコで生まれフランスに亡命した作家ミラン・クンデラ1984年に発表した小説。読む前情報は「共産主義時代のチェコスロヴァキアを舞台にした小説」くらいだった。

 


この題名にずっと魅かれていた。「存在の耐えられない軽さ」。この本についてはきっと永遠に書くことができる。だけどその中でもいくつかに絞って書きたい。まず「1度は数のうちに入らない」というドイツのことわざを用いて、この本は「ただ1度の人生とは何か?」について書いている。

 

私にとってこれは決して「人生は決して重いものではないから、軽く自由に生きてごらん」という主題の本ではない。もちろん、一つの本に対する解釈の可能性は無限大で読む人の数だけあるものだが。


「私が死んでも世界は周る」という言葉がある。これは確かにそうなのかもしれない。でも特にこの本を読んで私が思ったのは「私が死んでも世界は周るが、私の世界は死ぬ」ということであった。

+、「私が死んでも世界が周るからこそ、私は生きることができる」である。


(このあとにこの本について長々と書いていたけど一向にまとまりそうにないからまた別ので載せようと思う)

 


夕方になったら、映画を観る。

 


Quarantine 中に観た映画。

catch me if you can
百円の恋
誰も知らない
生きてるだけで、愛
南瓜とマヨネーズ
天国はまだ遠い
リップヴァンウィンクルの花嫁
フォード vs フェラーリ
ブロンドの恋 (授業用)
ぐるりのこと。
湯を沸かすほどの熱い愛
カッコーの巣の下で (授業用)
ジョー・ブラックをよろしく
あと、短編映画をたくさん (天国はまだ遠いも短編だけど)

 

特に橋口亮輔監督の、「ぐるりのこと。」。

この映画の中で描かれる人物たちの、柔らかくてしっかりとした確信の目線、愛の目線、信頼の目線、それは広くて優しくて大きくて強い。観た映画は全てそうだけど、これもまた忘れられない映画になった。

 


本を読んでいるとき、文章を書いているとき、映画を観ているとき、ピアノを弾いているとき、私の意識の焦点は完全にそこにあって、没頭してしまう。すごいな〜本も映画も音楽も。

 

ーーー


午後に映画をみる以外にすること、それはアルバイトと柔軟である。

 

アルバイトは留学中に大学の図書館で司書の方のstudent assistantをしてたのをそのまま継続している。図書館が全て休館となったので、E-book や E-journal をオンラインサイトに載せるためにまとめたりstudent journal を書いている。

 

柔軟は、ヨガマットを使って頻繁にしている。身体がFlexibleでいることは心がFlexibleでいるのに私の場合は必要だと勝手に思っている。あと最近は、身体が鈍ってきたのでYouTubeのHand clapダンスというのをやることもある。15分くらいやるとめちゃくちゃ疲れる…でも身体を自分の感覚で動かしていないと、身体と心が離れていく感じがして五感に鈍感になっていくような気がするので、鈍ったらちょくちょくやろう… (今気づいたけど、"にぶる"と"なまる"の漢字って一緒なんだね)

 

そのあと日によっては掃除機をかけたりアイロンをかけたりする。

 


そして夜ご飯を食べる。お皿を洗う。ニュースをチェックする。

 


ーーー

 


ニュースをチェックすることについて。


こういう状況だからこそニュースを隙さえあれば確認するのではなく、一日の中で時間を決めてみている。テレビ、ネット、時々新聞。情報が正しいかを確認すること。何が科学的なエビデンスに基づいた情報で、何が今まで起こった感染症の歴史から予測される事柄で、何が現在の社会状況なのか(何が政府の策で、何が人々が実際に直面している生活なのか) を知ること。

 


ーーーー

 


そして夜になって、やっとオンライン授業を受ける。2週目になってからリズムが築けてきた。今学期は、建築、都市計画、東欧映画に関連する授業を履修している。どの先生もすごくpassionateで分かりやすい。最初はオンタイム(シアトルタイム)でないと授業を受けれないと思っていたが、大体24時間以内に受ければよくなったので日が変わる前に受けることにしている。課題も今まで通りギリギリ人間で、1日が終わるころにやっている。

 


オンライン授業が早めに終わったら、フランス語を勉強する。昔から「マルチリンガルになりたい」と思っていたけど、大学2年の春学期で履修した以外、なかなか本気でとりかかってこなかったフランス語。Quarantineが始まってからやり始めた。言語学習は本当に終わりがなく、これまでその時間を英語に割いてきた。英語だって、約7年間勉強してきてまだこのレベルかよ…と思うことばかりだけど、逆に7年あればここまでこれるのかとも思える。今20歳だから、10年スパンでやれば30歳頃には今の英語のレベル近くまでは少なくとも話せるようになれるかも(脳の吸収力とかは違うかもだけど)。始めなければ一向に話せるようにはならないという事実に戻って、焦らずに着実にいこうと思う。

 


ベッドに入って、また本を読む。

 


私のQuarantine中の1日は大体こんな感じだ。あとは友達とビデオ通話や電話をしたり、ピアノを弾いたり…

(でももちろん1日中ほぼベッドで詩集を読んでほかには何もしないで過ごす日も全然あるけどね)

 


ーー

 


「ただ日々は、意識の焦点が移りゆくことで、晴れやかになったり翳りを帯びたりしながら流れていく。」という梨木香歩さんの言葉を冒頭で引用した。

 


コロナウイルスが蔓延してから特に、この言葉が何度も脳裏にあらわれた。今私は食事も住む家にも不自由なく健康に暮らしている。留学が早めに切り上げられたが、パソコンとWifiのある環境下で住んでいるから授業をオンラインで受けることもできる。妹もずっと家にいるし、この時間に読める本や観れる映画もある。早く友達と外に出かけたいな〜、sick of being in the house だな〜と思うことはあっても、暇にはならないしなによりも比較的安全な環境にいる。

 


でもいま実際、色んな意味で危機状態にいる人たちが沢山いる。この状況の中で私のように「意識の焦点」がこうやってうつれること、それは私にとって日常を過ごせることであり、それがもうすでにprevillageであり社会の不公平を表してもいる。コロナで浮き彫りになった社会の不条理を何度もみて(今まで私が知らなかっただけのこともあるが)、ニュースを見るたびに怒りを何度も感じるけど、一方で本や映画や音楽に没頭する毎日。正直にそれが私のいまの生活だ。

 


ニュースだって、いま人々がさらされてる生活が知れば知るほど私の行き場のない不条理に対する怒りは膨れ上がってしまうからこそ、みる時間を決めているけど(知ることは大切だから、全くみないということはしない)、それができること自体がprivilegeでもある。

 

 

 

では私には何ができるのか?

 

 

その悲しみに共に沈もうとすることは彼らの助けになることには繋がらない。「あなたの状況を想像して私も一緒に悲しくなってしまう」、それがあることは否めないし否めたくもないけれど、私がこのような状況にいるからこそ、何を「するか」の方に重きをおきたい(これはエンパシーを否定しているのでは全くない)。

 


何をするか、何ができるか。まずは外出しないこと、自分を健康に保つようにすること(both physically and mentally)、署名や募金をすること。(もちろん、何に対する署名や募金なのかをしっかり確認したうえでである。批判を恐れないで言えば、私は『個人』に対する『面と向かっての』募金が怖い。中学のときに友達が外国でホームレス中の人にお金を渡そうとしたら、押し倒されてお財布ごと取られたという話を聞いたからだ。だけど、オンラインだったらそういう心配もない。逆にオンラインだからこそ、"何に"募金するのか、そのお金が何に使われているのかをきちんと確認することは重要だが。Colaboと、ビッグイシューに今のところ募金した。)。大した量じゃない(月のバイト代の10%くらい)し、自分の中のwhat-about-ismが動いてどこにするかすごく迷ったが、ないよりは必要だと思う。

 


あとは、これはいますぐにできることじゃないけど、未来のために今後の選挙に必ず行くこと。私は今まで選挙には1度を除いて全て行っているけど(当たり前である。むしろ1度行かなかったことはそのあとしばらくの後悔だった…)、今回ので更に現政権を辞めさせるぞという気しかまわらない。(投票率が次回こそは上がるといいな。投票に行かない個人を批判するのではなく、どうしたら人々が簡単に投票に行きやすくなるのかについて考えたいな。) 自分に今できること、それは小さいことかもしれない。ただ0か0.1なら、0.1をしたい。 

 

 

自分の生活を生きること。そして自分ができることをすること。自分が「悲しくいる」ことを、私の今の生活の免罪符のように使わないようにしなくては。(もちろん自分のどんな感情も無かったことにすることはしないが)。私ができることはエンパシーを持ちながら行動をすることだ。悲しみを想像することで(though ←this is so important and I will keep doing it)、そこに沈もうとすることではない。

 

 

(繰り返すけど、何をするよりもまず自分の体調に気を配ること、忘れがちだけど自分の精神面にも気を配ることを忘れないでいきましょう。毎日生きてるだけですごいんですから。でももし体調が(心身どちらの場合でも)悪くなったらどんどん人に頼りましょう。and I hope I can be one of those help, too. 

 

 

2020年4月15日