私は映画を現実とはまったく別のものとしてみたことは一度もない。いつも映画は現実の見方を提示してくれるもの、変えてくれるもので、現実と共にあるもの、ひと続きにあるもの、観た人の現実を形づくるもの。だって、決して映画の尺の中だけで終わる映画はないから。映画を観た前と後では、認識も行動も人との関わり方も自分とのつきあい方も変わるから。過去や現在や未来の捉え方も、つまりはその人が人生をどう生きるかも変わるから。
映画は、制度やパワー関係の間で埋もれたり無かったことにされていることを可視化するものでもあるし、人々が日常だと思っていることの多層的な複雑さを見せるものでもある。事実を情報として消費させずにそこにある人々の存在を浮き彫りにしたり、時や場所を超えて普段は絶対に交わることない人の人生を繋げたりするものでもある。
映画はほんとうにわたしにたくさんのことを教えてくれた。それは「こういうことを知りなさい」という押し付け型という意味ではなく、「私はどう生きたいのか?」について考える機会をくれたこと、映画を観ていなかったら意識を向けなかったであろうたくさんのことに意識を向けさせてくれたこと、何を考えるべきかではなくてどういう切り口で考えていけばいいのかを教えてくれたこと、そして私の認識も行動もforever変えつづけてくれたこと。
映画の可能性って本当に果てしない。ひとつの映画でも、観た人それぞれの間に異なるそれが存在する。画と音と言葉。それなのに空気やにおいや風や温度までもを感じさせることができる。観ている人の呼吸のスピードを変えることができる。今まで観てきた映画に永遠に感謝したい。そしてこれからどんな映画に出会えるのか楽しみで仕方ない。2019はあんまり邦画をみれなかったから2020は邦画たくさんみたいな
前置きが長くなったけど、2019年も大好きな映画にたくさん出会えた。その中でも特に思い入れの強いものについて連ねて書きたい。
どれもそれぞれの理由で一生忘れない映画だ。(2019年に私が観た映画で、2019年に上映された映画ではない)
アイ・オリジンズ (2014)
私にとって一番の映画は何かと聞かれたら、この映画の名前をいう。宗教はなに?と言われたら無宗教だとこたえるけれど、神について(そして科学との関係性について)これを観てからずっと考えている。大好きだとも完璧だとも形容することができないくらい、とても特別な映画。
(でも予告は好きじゃない泣)
あの夏の子供たち(2009)
ミア・ハンセン=ラヴの映画は全て素晴らしかったけれど、これも傑作だった。じっくりとではなくて、パンっと叩かれたように涙がこぼれる。喪失と共に生きていくということ。完全に再生をすることはなくとも日々が流れていく中で生活にまた光が織り込まれていくかもしれないという希望。
水の中のつぼみ(2007)
セリーヌ・シアマは容赦なく心臓を握りつぶしてくる。一瞬一瞬のカットに、静かで穏やかな、でも予測不可能で光線みたいに力強いじりじりとした感情を描く。その人が食べて捨てたあとの、腐ったリンゴをかじりたいと思うほど、彼女になりたい。体の境界線がここまで邪魔になるときがあるなんて。10代前半の混乱や熱をそのエネルギーのままにここまで描いたセリーヌ・シアマには感服しかない。(トム・ボーイ、ガールフッドも圧巻もの)
※好きな映画監督をどうしてもあげるとしたら、
・マイク・ケイヒル
・ミア・ハンセン=ラヴ
・アイラ・サックス
・是枝裕和
そして、セリーヌ・シアマ。
旅たちの時(1988)
James Taylor のFire and Rain を聴くたびに脳がこの映画のことにトランスファーして泣きたくなる。高校生/大学生にどうしても観てほしい映画。
アマンダと僕(2018)
比喩としての光と文字通りの光。ミカエル・アース監督のその両方の描き方には、大切な人を亡くしたあとに生きている者たちを、優しくてあたたかいふとんでつつみこむようなパワーがあると思う。
②へと続く