norika_blue

1999年生まれ

Film Diary : レディバード

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レディ・バード

 


最高すぎる。。。

 

この映画は昨年の初夏に初めてみた。それから映画館にも何度も出向いた。これから書くことは、映画を観た人じゃないとチンプンカンプンかもしれない。

 

〜〜

 

自分が自分が何かを決める前になによりも先に子は親から “名” を受け取る。それは自分を他人にdefineされる一番最初の瞬間である。レディバードは鳥みたいに自由に飛びまわりたかったのかな。 “It’s given to me by me” の名でいることが、サクラメントレディバードが少しだけ自由を感じることができる唯一の方法だったのではないかな。最後 “It’s Christine” と言う彼女は、 “Christine” と言う名の下で自由になることを決断したのではないかな。

 

 

“I want you to be the best version of yourself” 

“What if this is the best version ?” 

 

そこで完全に relate した。


そして先生の


“ Don’t you think it’s the same thing, Loving and paying attention ? ”


という言葉。愛ということばはあまりにも大きくて色々な意味を含んでいるけど、この映画の中に溢れる愛にはattentionが根本にある。


あと、朝ごはんのところの会話も最高にリアルで面白い。監督のグレタも、日々にcareとattentionをもっているんだろうな。そうじゃないときっとあんなシーン描けないと思う。

 

そして、カイル。。。。。。。。


あーなんでこうも attractive なんだ!!!以前アウリとマチルダとテレビ電話をしていた時アウリが自分の彼のことを “He is kind of a bad boy.” というのに対しマチルダが “Oh, girls are always attracted to a bad boy ” と言っていたのを思い出す。カイルが一人で本を読んでいるところ、喋り方。“I’m not firting”というレディバードに “I wish you’ve had been” と返すカイル。。。

 

まぁ確かに最低という意見があるのもわかる。初体験について嘘をついたのはまだしも、わたしにはあのプロムのシーンが最低に思えた。書いていて思い出したけれど、 “(ドアまで迎えに来ずに) 車のクラクションで呼び出す人の車にのるな” っていうセリフを生み出したグレタは天才だと思った。他にも天才的な脚本のシーンはある。

 

ジュリーとレディ・バードがケンカした時の

”Your mom’s boobs are fake!!!!!!” 

”She made one bad decision when she was 19.!!!!!!! ” 

“Two mistakes!!!” ( なぜならboobは2つあるから) とか。

 


学校のミサ?の時にカイルがジェナの髪の毛を後ろから引っ張るシーンも、わたしのお気に入りのシーンのうちの1つだ。ジェナ役のOdeyaちゃんは、今週観た映画のうちたまたま3作品に出演してた。話し方がとても好きだ。

 


二回目観て思ったこと 追加🍒

 


ジェナ役のOdeya ちゃんがトークショーで、「ジェナが mean girl でないのは、ジェナは自分の状況や周りにハッピーだからであり、

彼女はわざわざmean girl になる必要はなかった」と言っていたのに納得する。


ジェナのように生まれ育った場所で過ごしたい人と、レディバードのように遠くに行きたい人といて、当然だけどどちらが良い悪いもない。でもレディバードは決してサクラメントにいてハッピーなことがないわけではないと思う。幸せなんだけれど、遠くに行きたい。自分が生まれ育った場所ではない場所への憧れって、一体なになんだろうか。レディバードが自分の住んでいる家についてジェナに嘘をついた時、ジェナは「なぜそういうことについて嘘をつくのかわからない」と言う。ジェナにとっては、純粋に疑問なのだろう。ジェナは他の人が持っている、自分にはない何かを欲しいと思ったことがほとんどないだろうから。

 

 

最後にレディバードが、「初めてサクラメントを運転したとき、愛しく思えた」のようなことを言っていた。シアーシャちゃん(レディバード役)がゲストのトークショーを見ていたら、ホストが「この映画は日常の美しさを描いている」のようなことを言っていて、まさにそうだと思った。この映画を観て映画館を出ると、東京が、キラキラしてみえる。電車に乗ったり、ビルの間を歩いたり、線路を渡ったりという行為をどこか特別なことのように感じる。家族と話したりご飯を食べるという行為についてもそうだ。

 

 

わたしはきっとこうやって日常にわくわくして過ごしながらも、やはり行ったことのない土地や知らない土地への好奇心を持ち続けるのだろう。あと、電車で座っている前の人たちをみているときに、想田和弘監督の “観察映画”を思い出した。

 

 

好きなシーンだけを繰り返しみたくなるような好きな映画と、その映画の中で登場人物と同じ時間軸を過ごしたくなるような、映画と共に存在したくなる映画と、ある。 “the perks of being a wall flower” も後者だったし、レディバードもそうだ。


観るたびに違うことを思うし違うことに気づく。最後お母さんがレディバードの見送りに間に合わずにお父さんとハグするところ、神父さんがお母さんと話しているところ、プロムに行く前にジュリーが “何か特にあったわけじゃないけど幸せになれない” と言ったところ、今回はもっと心に刺さった。

 


細かいところでいうと、神父さんの後任?のアメフトのコーチの演技の教え方が、まるでアメフトの試合の時のような気合いと熱を持った教え方だというところ、ジュリーとレディバードがケンカした時、朝の集会?でジュリーがレディバードの方をみている(睨んでいる)ところ。。。

 


1つ目のところは逆に一回目なぜ気づかなかったのか不思議なくらいだが、こうやって繰り返し観ると一回目に観た時とは異なる発見があって面白い。

 


カイルと駐車場で話すシーンのレディバードの話し方の描写も、これまた素晴らしいなと思った。レディバードは別に「よし、カイルの前ではこう振る舞おう」と思っているわけではないだろう。でも確かにカイルといるレディバードと、ダニーといるレディバードは全然違う。カイルといるときとダニーといるときは周りの人間関係 ( ジェナ、ジュリー) が変わるだけでなくて、レディバード自身も変わる。自分とその周りの人間の間には厚い頑固とした壁があるのではなく、極めて薄くて空気のようにつながっている。その様子の描き方もあまりにも素晴らしいなと思った。

 

 


「Thank you. 」という言葉で映画が終わるのもいい。

 

 

 

この映画のスクリプトを入手して読みたいと思った。